昨夜の講話 瞑想の達人は眠らなくても平然といれるものだ!に驚く。
朝方、自分の大きな笑い声で目が覚めた。
(これは聖なる沈黙が解かれた時に隣人に真っ先に指摘される。
不思議と今でもその夢の内容は覚えている。)
一日雨となる。
雨の音はやさしい。
汚濁が流されるようで心地よい感じがした。
本日の指示で私はゆっきー大仏になってしまった。
雨で洗われ
そのしずくを小さな、こゆっきーが出てきて大きなゆっきーに乗っかって拭っていく。
丁寧に、丁寧に。
昼休み、その話を先生にするとガハハーと笑われ
「それ、また見たいやろ?」
「はい」
「それが渇望や!思い入れをしたらいかん!」
これ以上の渇望、嫌悪をつくらない。
出てきたものは 「それが何か?」という気持ちで流す。
ただそれだけ。
すべてのものは出会っては消える すべてのものは出会っては消える
人の死、自分の死を迎えるということもそういうことだ。
涙が流れた。
雨なので外を歩けない。
部屋でストレッチや叩いて足の浮腫みを取る。
(パンパンと音を出したのでこれは禁止動作だったらしい。
解禁になった時、同じく隣人に指摘された。)
右足脛に血栓を見つける。
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