ヨーガ・スートラ1-3

【真我】

[1-3] 心のはたらきが止滅された時には、’’純粋観照者’’ たる真我は自己本来の態にとどまることになる。ヨーガとは心の働きを止滅することである。

For finding our true self (drashtu) entails insight into our own nature.||3||

<解説>①ここではサーンキヤ(「数論(すろん)」)哲学の二元論が前提となっている。この哲学では究極の原理または実在として、自性(プラクリティ)と真我(プルシャ)の二元を立てる。自性(プラクリティ)は客観的な宇宙、万物の根源となる唯一の実在である。

 

<解説>②物質的な存在はもちろん、人間の心理的な器官も、すべて自性(プラクリティ)から展開したものである。これに反して、真我(プルシャ)は主観の主観ともいうべき純粋な精神性の原理で、各個人の本当の自我である。真我は、客観的存在のありさまを見ているだけの純粋な観照者なのである。

 

<解説>③われわれの心理現象というのは、自性から展開した無意識性の器官の変様の上に真我の純粋な意識性、照明性が映じた結果生じたものである。真我自身の姿といえば、独立自存な絶対者で、時間、空間の制約をうけず、つねに平和と光明に満ちた存在である。

 

<解説>④これが各人の真実の我の本来の在り方なのであるが、この真我が、自性から展開した客観的な存在と関係した結果、自己本来の姿を見失って、自分がいろいろな苦を現実に受けているような錯覚を起こしているのが、われわれの現状である。

 

<解説>⑤この錯覚をどうして取り去ることができるか?これが課題なのである。ヨーガのねらいとするところは、真我(プルシャ)の独存(カイヴァリヤ)を実現するにある。インド思想一般の言葉でいえば、ヨーガの目的は解脱(モクシャ)にあるのである。

 

 

<解説>⑥止滅の状態では、未だ真我独存、つまり解脱の状態ではないけれども、真我は本来の姿に還って、そこにとどまっているのである。