[1-9] 分別知とは、言葉の上だけの知識に基づいていて、客観的対象を欠く判断のことである。
Imaginings are engendered by word knowledge without regard for what actually exists in the real world. ||9||
<解説>①分別知(vikalpa=ヴィカルパ)は正知とも違い、誤謬とも違っている。それは客観的対象に基づくものではないから、なんら実質的な内容のある判断にならない。
<解説>②例えば、「真我(プルシャ)の自体は霊智(caitanya=カイタニャ)である」というような判断は、真我と霊智とが同一物であるから、何ら積極的内容をもち得ない。かようないわゆる分析判断や、単に否定のみの判断などは正しい判断とも、不正な判断ともいえない。
<解説>③かかるに単に観念的な判断を分別知(ヴィカルパ)というのである。この種の知識は、実用的な知識として、実際生活には役立っている。分別知の定義は仏教のとは少し違っている。
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