[1-25] 自在神には、無上最勝な、一切知の種子がそなわっている。
Ishavara is unmatched and is the source of all knowledge. ||25||
<解説>①一切知(sarvajna=サーヴァジュナー)の種子は比較相対を許さぬはずであるから、無上とか最勝とかいう形容詞をつけるのは矛盾ではないか、という非難を予想して、インドの註釈家は苦心さんたんたる解釈を施している。しかし、本経典全体の思想構成に照らして理解するならば、むずかしい解釈は、無用の長物になる。
<解説>②一切知と同じ意味の語「一切知者たる力」(sarvajnatrtva)という語が3-49に出ている。ここでは、覚と真我とが別個のものであるという真知が行者の全意識をみたした時に生ずる、ヴィショーカ(visoka)と呼ばれる超自然的能力(siddhi=シッディ)の内容として、すべての世界を支配する力とすべてのことを知る力とがあげられている。
<解説>③さらに3-54には、やはり真智から生ずる、ターラカ(taraka)という霊能が説かれている。(3-33参照)この霊能は、あらゆるもののあらゆる在り方を対象とし、しかもそれらすべてを一時に、なんの手続きをも経ないで、知ることができる能力であると規定されている。だから、一切知は真智を実現した人のすべてに具わる力なのであるが、しかし、特に自在神には、一切知の中でも景勝なものが備わっている。こういわんとするのがこの経文のねらいであろう。
<解説>④種子という語は、一切知を芽生えさせる原因、または能力を意味する。一切知の代わりに「一切知者」(sarva-jna)とみても意味は通じる。要するに、ヨーガの自在神は偉大なグルであるが、バクティ信仰の対象のような全能な専制君主ではないのであって、その性格は仏陀やジャイナ教のジナの性格に似ている。一切知、一切知者の理念は多分、仏教やジャイナ教の影響を示しているであろう。
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