ヨーガ・スートラ1-29

[1-29] 上記の行法を修するならば、内観の力を得、三昧に対する障害をなくすことができる。

Through this practice, the immutable self is revealed and all abstacles (antaraya) are removed. ||29||    

 

<解説>内観の力を得る(pratyak-cetana-adhigama)という原語を、ある註釈家は人々内在の真我を直観する、という意味に解している。これでもわるくはないが、前記の二つの行法に対して、それ程の高い結果を期待するのは妥当でないように思われる。仏教でも、念仏観は種々の間違った見解その他の重罪を除滅するのに役立つものであるが、覚りを開くにはなお多くの段階の修行を必要とするのである。