ヨーガ・スートラ1-43

【無尋定】

[1-43] 定の心境がさらに深まって、分別知の記憶要素が消えてしまうと、意識の自体がなくなってしまったかのようで、客体だけがひとり現れている。これが無尋定である(3-3参照)。

Once all previous impressions (smriti) have been purged and one's own nature is clearly perceptible, then only the object of contemplation emanates light. This is nirvitarka samapatti. ||43||

 

<解説>無尋定(nirvitarka-samapatti=サビタルカサマーパッティ)とは、要するに、主客未分の心理状態のことであるが、ここではこの心理を、記憶のはたらきの消失ということから説明している。詳しく言うと、言葉と意味との慣用的なつながり、伝承や推理に基づく知識など、いわゆる分別知の内容である記憶がすっかりなくなると、心はその対象である客体自体に染まって、まるで知るものとしての自体を捨てて客体そのものに成りきってしまったかのような観を呈する。これが無尋定といわれるものである。尋(vitarka)については1-17に説かれている。