[2-18] 見られるものとは照明、行動、停止の性格をあわせそなえ、物質元素と知覚、運動の器官とから成り真我の経験と解脱とをその目的とするものをいう。
Objects and situations in the physical world can be characterized by purity (sattva), unrest (rajas), or inertia (tamas); the are physical or etheric and result in short term pleasure or long term redemption ||18||
<解説>①この定義はサーンキャとヨーガに共通した形而上学を背景としている。照明(prakasa)、行動(kriya)、停止(sthiti)は例の三つのグナ(徳)のそれぞれの性格を示している。つまり、照明はサットヴァ、行動はラジャス、停止はタマスの性質を表わしている。根元的自然ともいうべきプラクリティ(自性)はこの三つのグナをその構成因子としているから、従ってプラクリティから展開した覚以下五つの物質的元素(bhuta 大)に至るまでの存在は、すべて三つのグナから成り、従って三つの方向の性格をもっているのである。三つのグナは瞬時も休止しないエネルギー的因子であって、その性格は互いに矛盾する関係にあり、互いにその主導権を争うような形で三つ巴にからみ合っている。この三者の働き合いの上に、プラクリティの転変は顕現してゆくのである。三つのグナの性格をサーンキャ哲学の論書(カーリカー)によって列挙すると、
1)サットヴァ***快がその本質、照明がその作用、軽いことと明るいことがその特徴。
2)ラジャス***不快がその本質、活動がその作用、誇負と不安がその特徴。
3)タマス***痴鈍がその本質、停止がその作用、重いことと覆いかくすことがその特徴。
このように、三つのグナの性格は互いに違っていて、部分的には相矛盾してさえいるが、三者がいつも離れずに、いろいろな関係において結び合ってゆくところに、万般の物理的、心理的事象の転現が成り立っている。その相互関連の仕方には交互制圧、相互依存、相互形成、二徳ずつの対偶、相互刺激などがある。
<解説>②物質元素とは、地、水、火、風、空の五つの粗元素(五大)のことであり、知覚と運動の器官といえば、眼、耳、鼻、舌、皮(触覚)、語(発語)、手、足、排泄、生殖の十器官(十根)のことである。かようにここでは、いわゆる五大と十根だけしかあげられていないが、註釈家はこの外に五つの唯(tan-matra 五大の素となる微細な元素)、意、我慢、覚等も当然含まれているものと考えている。その中でも覚が最も大切な役目をすることは前に述べたところである。しかし、経文にはただ五大と十根だけがあげられているのであるから、註釈家の意見が正当かどうかは考慮の余地がある。
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