【2-44】 読誦の行に専念するならば、ついには自己の希望する神霊に会うことができる。
Self-study and reflection on yourself (svadhyaya) brings you into contact with the desire ideal. ||44||
<解説>①仏教でも神仏の姿を拝しようとして、特定の真言なり、名号なりを唱えることが行われている。不動明王や普賢菩薩を唱えれば、その尊像が見え、その音声が聞こえてくる、といわれる。真言、陀羅尼、名号等は観仏三昧の一方法として用いられる。
<解説>②希望する神霊(ista-devata)とは絶対神ではなくて、天とかリシ(神仙)とかシッダとかいわれる有限で人格的な霊的存在である。こういう存在は、その神霊に関する真言(mantra)などを専心に唱えると、やがて行者の眼に見え、耳に聞こえてくる。それはこの神霊がその行人を守護し、指導する役目を引きうけたことのしるしになる。適当なグルの見つからない時、ヨーギーはこの神霊の指導を頼みとするのである。心霊学での指導霊とかいうのに当たるであろう。キリスト教の天使もこのたぐいである。ただし、かかる体験を得ても、それが霊格の高い神霊であるか、また真正の神霊の示現であるかについては充分の用心が必要である(1-28、3-32参照)。
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