ヨーガ・スートラ3-1(自在力章)

〔凝念 ヨーガ第六部門〕

[3-1] 凝念とは、心を特定の場所に縛りつけることである。

Harmony with your thoughs and the ability to concentrate are attained by aligning the mutable aspects of humankind with a specific subject. ||1||

 

<解説>①ここから章は替わるけれども、序論で述べたように、内容上は前章に続いていて、ヨーガ八部門中の第六以下の三部門の説明に入るのである。この三部門は、内的部門(3-7参照)であって、綜制(samyama=サンヤマ)ともよばれる(3-4参照)。ヨーガにとってこの綜制の部分こそが本命であって、綜制に属する三部門は一連の行法をなしている。実際に行ずる時には、この三者はハッキリと区分できないのが普通であるのを、ヨーガの理論家がこれに心理学的な分析を加えて三つの部門に分けたのである。

 

<解説>②ヨーガの心理操作はすでに制感から始まっているのであるが、本経では、制感を外面的で予備的な部門に属させている。しかし、カタ・ウパニシャッドには、ヨーガを定義して、「五つの知覚器官を不動に執持すること」(sthira indriya-dharana)と説いていて、凝念の原語であるダーラナー(dharana)は知覚器官の執持(しっかりとつかまえておくこと)という場合に使われている。この頃には制感がヨーガ行法の主要部分と見なされていたようである。序文でも明らかにしたように、ヨーガ思想は長い歴史の間に、いろいろな形態に発達したのであって、本経典の八部門体系は限られた時代の、限られた思想圏内のヨーガ思想を示しているに過ぎない、と考えるのが学問的な考え方であるといえよう。本経典の中でも、八部門体系の外に、有想、無想、有種子、無種子等の分類法による体系づけが見られるのである。

 

<解説>③さて、凝念は制感とは反対に、積極的に、自主的に、特定の場所(desa)を択んで、そこへ心を縛りつける(bancha)心理操作である。2-53によればこの操作は意のはたらきによって行われている。ここで場所という語は、凝念の対象が具体的なものであることを示している。例えば、鼻のさき、臍、心臓など身体の一部や、または、外界のある適当な事物などが、注意集中の対象に択ばれる。縛りつける(bancha)というのはやや露骨な表現であるが、心を動かぬように固定するということの具体的な言いあらわし方である。