ヨーガ・スートラ3-6

【3-6】 綜制の使用は段階を追って行わなければならない。

This meditation is carried out in the three aforementioned successive steps. ||6||

 

<解説>①心のはたらきには上下さまざまな段階(bhumi=ブーミ)があるから、低い段階の綜制を充分に自分のものにした後でなければ、その一段上の心のはたらきにおける綜制を使用することはできない。行者が功をいそぐのあまり、段階をとびこえて高い段階の綜制を使用して失敗に終わるほかはない。ここで段階というのは、粗雑か微細かの差のことであって、有尋、無尋、有伺、無伺等の差異をいう。註釈家によれば、その段階の次にどの段階があるかは、ヨーガそのものによって教えらえるのだという。そこに引かれている一つの詩は、ヨーガ至上の立場を伝えていて、道元禅師の只管打座を想い出させるものがある。

ヨーガによってヨーガを知るべし。

ヨーガはヨーガより生ず。

ヨーガについて不放逸(怠らない)なるひとは、永くヨーガを楽しむ。

註釈家の言うところによれば、神の恩寵によって一気に高い段階を克服し得た人は、それより下の段階、例えば、他心通(他人の心を知る読心術)などに綜制を使用するのは宜しくない、とのことである。