ヨーガ・スートラ3-16

[綜制(サンヤマ)から生ずる超自然的能力]

【3-16】 前に述べた三種の転変に対して綜制をなすならば、過去と未来に関する知が生ずる。

Meditation (samyama) on the three types of change (parinama-traya) gives rise to knowledge of the past and future. ||16||

 

<解説>①これから三十数節にわたって、修練を積んだヨーギーが現わすいろいろな超自然的な力や現象が述べられる。この超自然的な力は原語でシッディ(siddhi、真言宗でいう悉地)、リッディ(rddhi)、ヴィブーティ(vidhuti)、アーイシュヴァリア(aisvarya)などとよばれる。この第三章の題名がヴィブーティとなっているように、これから後、第49経文に至る大きな部分が、この超自然力の解説にささげられている。このことは当時、ヨーガの世界において、超自然的な力がいかに大きな話題となっていたかをものがたるものである。

 

<解説>②さきにも述べたように、ヨーガにおいて、超自然力の可能を肯定する理論根拠は、経験的世界のすべての事象は、物理的たると心理的たるとを問わず、一つの根元的実在の各瞬間ごとの休みない転変の上に成り立っている、ということにある。今日の言葉を借りれば、すべての事象はエネルギーのダイナミックな波動を根基としているというわけで、心と物質の間に二元的な区分を立てず、しかも両者ともに刻々に変化してやまないものだと見るから、心から物質へ、物質から心への相互転換も不可能ではないことになるし、感官を媒介としない認識もあり得ることになる。ヨーガの考え方は迷信どころか、かえって近代科学に近いともいえよう。近代科学がいま少し前進すれば、心から物質へ、物質から心への転変を可能と認め、さらにはその方法を、科学的に開拓するということも起こらないとはいえない。

 

<解説>③さて、本経文のいわんとするところは、こうである。ヨーガに熟達した人が、ある事象について、「これは未来の時点から現在の時点に移って来て、現在の時点においてその仕事をすませて後、過去の時点へ転入するのだ」というふうに、雑念を払って、かの綜制の心理操作をなすならば、その対象の過去、未来についてのどんなことでも知ることができる、というのである。それは何故かといえば、心(チッタ)のサットヴァ徳(グナ)が清浄となり、その照明性が発揮されるならば、いかなる対象でもあるがままに把握することができるからである。