ヨーガ・スートラ3-34

【3-34】 心臓に綜制を向けることによって、心(チッタ)を意識を向けることができる。

Meditation on the heart (hridaya) engenders knowledge concerning human mutability (chitta). ||34||

 

<解説>①心臓というのはもちろん、幽体的な心臓で、小さな蓮華の形をし、いつもは下向きになっている。この蓮華は心の座である。あるいは覚(ブディ)の座とも、内官(アンタハ・カラナ)=意、我慢、覚の座とも解釈されている。チャーンドーギア・ウパニシャッドには、「小さな白蓮華の家」の中にはアートマンがおさまっている、と歌われている。

 

<解説>②心(チッタ)はこころの実体であって、それ自身は意識面にのぼらないはずのものであるが、かの心臓に綜制操作を施こす時には、この秘奥にひそむこころの実体さえもが意識面に現われてくる、というのである。心が意識される以上、その現象形態は残らず意識できることになる。

 

<解説>③ある註釈家は、自分の心だけでなく、他人の心をも知り得ることだと解し、自分の潜在意識にひそむ行と、他人の心に浮かぶ悦び等とを知ることができることを意味するという。