【4-5】 転生によって変わる多くの心の発現の仕方は種々と違っているが、それらの多くの心は唯一の心によって使役されている。
While the forms may manifest in various ways, the mutable essence (chitta) is the underlying principle of these many forms.||5||
<解説>①この経文も前の経文と同様、三様に解釈することができる。わたしは、この経文を輪廻転生の転変についての解説だと理解した。つまり、転生する間に、あるいは人間になり、あるいは猫になりなどして、その時その時の心のはたらきが違ってくるから、従って、それらのはたらきの主因となる心もそれぞれ違ってくる筈である。それなのに、なぜ、それらの間に転生という関連を認めることができるか?それは、それら転生ごとの心の上にそれらの心をその時その時に使役し、駆使する唯一の心があるからだというのである。この心は超時間的であるけれども、超個人的ではない。ヨーガでは心(チッタ)は超時間的なものと考えられるものであるから、転生身の交替するごとにかわる心を立てるのは、少し理解しにくいが、当分ここでいう心は意以下のはたらきをする心に名づけたものであろう。使役者である心というのは前の経文の我想元質のさらに奥にあって、それ自身は少しも動かず、我想元質から生じた心を使役するものとも見られる。ここに唯識哲学の阿羅耶識のおもかげをしのぶことも無理ではない。
<解説>②しかし、この経文を註釈家に従って、ヨーギーの変化身に関する説明として理解することもできる。変化身の心のはたらきはそれぞれ違っているのに、それらの多くの心のはたらきが唯一の心の目的にそうようにあっているは何故かといえば、それはヨーギーの唯一の心がそれら多くの心の使役者となっているからだ、というのである。
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