【4-8】 前世に積み重ねた残存印象の中で、特定の業務に適合するものだけが現象するのである。
In accordance with this law of cause and effect, the fruits ripen that correspond to the underlying desires (vasanas).||8||
<解説>ここで問題になっているのは、生類が無始の昔から輪廻転生してきたものとすれば、その無数の転生の間には、あるいは神霊になり(インドでは神々も低いものは堕落して人や獣になることもあると考えられている)、あるいは人や獣の類になることがあるであろう。それなのに、人間になれば人間に相応わしい習性しか現われず、猫に生まれれば猫らしい習性しか現われないのは何故か?ということである。それに対して、今の経文は答える。前生に積み重ねた残存印象は無数に多く存在するけれども、特定の転生のうちに現象するのは、その転生の業務つまりその特定の転生の種類(天、人、獣、等)、寿命、経験によくマッチするものだけである(2-13参照)。だから、人間の生涯の間に猫や神の習性は顕われてこないのだ。そういうのが、この経文の主旨である。残存印象(vasana=ヴァーサナ)というのは、行(samskara)の一部であって、行の中には業遺存(karma-asaya)や煩悩なども含まれているが(2-12,13)、ここでは特に習性を生み出す潜在印象(仏教では薫習、習気などという)だけを問題としているのである(薫習については2-24、3-18参照)。
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