【4-15】 客観的事象は同一であるのに、それに対する心は別々であることから見て、両者の道は別である。
That which is mutable in us (chitta) takes various paths to the same object, perception of which thus differs from one person another.||15||
<解説>①これも唯識派の観念論(見分相分説)を批判したものである。対象となる事象とそれについての想念を持つ心とは別々の道をたどるものであって、一つのものの両面でもなく、因果的連関をもつものでもないことを主張するのである。
例えば、ひとりの婦人を見て、あるひとは悦び、あるひとは悩み、あるひとは茫然とするというように、見る人の心によってその想念に差異が生ずるのは、心と客体とが別の道をたどる存在であることを語っている。三者の心は、その想念を生ずる副因(ニミツタ)が法(善徳)であるか非法(悪徳)であるか無智であるかによって前記の三様の結果が生じたのである。
サーンキャ・ヨーガの考えからいえば、一物が三様の印象を生ずる理由は、ただ心の方にだけあるのではなく、事物の方にもある。事物といっても、三徳のはたらきによるものである以上、片時といえども不変ではなく、刹那刹那に転変しつつあるのである。だから、同じ婦人が三人の男に対する時、その男の心が苦、悪、痴の面を刹那ごとに転換しつつ、対手の心に結びつくのであると考える。
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