【4-29】 ヨーギーが最高の直観智に対してさえなんらの期待を抱かず、あらゆる形の弁別智を尽したならば、法雲三昧の境地が現われる。
Attaining genuinely deep insight even engenders constant imperturbability and discernment (viveka). This state is referred to as dharma megha samadhi.||29||
<解説>①最高の直観智(prasamkhyana)というのは、深い瞑想から生ずる智で、ありとあらゆる事実在の配置の順序と、それら真実在の間の差別と、それらの本質を知る智力である。かかる智恵に対してさえも、その結果への期待を抱いてはならない。それに対して至上の離欲を適用することが、必要であるというのである(3-50参照)。
<解説>②法雲三昧(dharma-megha-samadhi)の内容については註釈家の意見は一定していない。次の経文(4-30)で、この三昧が現われるときには煩悩と業が滅するとあるが、三昧の内容は判らない。ヴィジュナーナビクシュの『ヨーガ精要集』(Vijnanabhiksu:Yogasarasamgraha)の中に、法雲三昧とは一切知から生ずる、秀れた法を降らす三昧ということである、と説明している。この法は、法、非法というの時の法で、善い結果をもたらす徳または力の義であろう。
<解説>③ところで、法雲三昧という語は、ハウエル氏の言うように、恐らく仏教からの借りものであろう。ハウエル氏の解説によると、ここの法(ダルマ)は「万物を支持する根本力」(tragende Urmacht)を意味する。この三昧に入った行者は世界を支持する根本的な力に包まれる。彼は法身(dharma-kaya)を得たのである。法雲三昧は、涅槃に入ったブッダの徳を表わす言葉である、という。しかし、大乗仏教では、ボサツの階位である十地の中の最高の階位を法雲地と名づけている。その意味は、大法の智雲があまねく甘露の雨をそそぐ位である、という。この階位はボサツの最高位ではあるが、未だブッダの境位ではない、とされている。とにかく法雲三昧は弁別智の完成時において現われる三昧である。
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